Rick Rubinが、Chuck Dが当初P.E.結成に乗り気でなかったことを明かす・・・「彼は渋った。定職に就いてるとか、歳を取り過ぎてる(当時27歳)とかね。LLが人気の頃で『16の子と競い合うつもりはない』と言っていた」
2014/09/29 14:47
Rick Rubinが、
「当時、Chuck Dの電話番号をメモしたポストイットを電話の横の目立つ場所に貼っていた。
だから電話を使うたびに
『そうだ、Chuck Dだ。Chuck Dに電話をしないと』
と彼のことを思い出していた。
私からは何度もアプローチをしたけど、彼はそのたびに渋った。
定職に就いてるとか、歳を取り過ぎている(Chuck Dは当時で27歳くらい)とかね。
LL(LLクールJ)の人気が高まっている時期で、
『16の子と競い合うつもりはない。
オレはオレの時間の中で音楽活動をする』
と言ってたな」
と、Spectrum City(スペクトラム・シティ)のMCとして活動していたChuck Dが当初Rick Rubinの誘いに乗り気を見せなかったことを明かすと、Russell Simmonsはその後こころを決めてデビューしたPublic Enemyについて、
「彼らはアメリカ黒人の全てを変えた。
Louis Farrakhan(ルイス・ファラカン=黒人指導者)を人気者にした。
ミリオン・マン・マーチ(1995年にファラカンの呼びかけで100万人以上の黒人男性がワシントンD.C.に集まり、行ったデモ行進)の成功に大きく関与した。
黒人のネックレスをゴールドから、赤、黒、緑(黒人解放旗に使われる汎アフリカ色)に変えた。
他にもいろんなものを変えた。
驚くべきグループだ。
彼らのようなグループは他にいない。
唯一無二の存在だ。
ヒップホップ史上最もコンシャスなグループとして認識されながら、同時にギャングスタ・グループに近い存在でもあった。
Chuckは元々タフな男だったが、Public Enemyのフロントマンとして、よりタフである必要があった。
反抗的な姿勢も見せたが、そうある必要があったんだ。
それを支持する人も多かったが、彼の口から出る言葉に激怒する人も少なくなかった。
その当時で、常識的な、一般的な考えを持つ人間が怒ったんだ。
民衆の敵(Public Enemy)だからな」