R.Kellyが2Pacと「Best of Both Worlds」的なアルバムを作る話があったことを告白・・・「ラップとR&Bの結婚の意義の大きさを確認しあった。それができるのはオレたちだと」
2012/06/28 14:45
以下、「Soulacoster: The Diary of Me」内の「Yo Pac! Yo Biggie!」からの抜粋
「1996年だった。
オレはホテルニッコーのロビーに居た。
(オレたちはホテルニッコーをホテルニグロと呼んでいた。
多くのラッパーや音楽関係者が好んで利用していたからだ)
自分の車が来るのを待っていたんだ。
ふと見上げると、イカしたベントレーに乗った2Pacが前を通り過ぎるところだった。
彼が1人で運転しているのを見て、声を張り上げて『ヨォ、Pac』と呼び掛けたんだ。
気付いた彼はすぐに戻ってきてくれた。
車から降りた彼から『元気?』と聞かれ、
『ちょうど、連絡をしたいと思ってたんだ』
と切り出したんだ。
『オレはアンタのムーブメントが大好きだ』
と言ったら、
『R.Kellyからそんなことを言ってもらえるなんて、最高に嬉しいよ』
と言ってくれた。
『多くの連中がラップとR&Bは別物で、住む世界が違うと言うけど、オレはそんなことはないと思うんだ。
一緒にできることもあると思うんだけど、Pacはどう思う?』
と尋ねたら、
『同感だ。
オレもずっとそう思っていた。
ビートがあり、歌詞があり、ストーリーがある、同じものだとね』
と言っていた。
そこで
『一緒にアルバムをやらないか』
と聞いたんだ。
『いいね』
と答えてくれたから、
『コンセプトを決めて、アルバム1枚を一緒に作りたいと思ってる。
業界を変えるようなレコードを作りたい』
と提案した。
彼は
『分かった。
スタジオの場所といつ行けばいいかを教えてくれ』
と即答してくれた。
『トラックを送るよ』
と言ったら、
『いや、トラックは送らなくていい。
一緒に仕事をしたいという気持ちが分かったから、それで十分。
後は進めるだけだ』
と言ってくれた。
そしてハグをして別れたんだ。
それからは何度かやり取りをして顔を合わせる日取りを決めたりした。
だけど、その都度、スケジュールが合わなくて先延ばしになっていた。
でも互いの気持ちが切れることはなかった。
何度も電話で話をしたんだ。
その度に、このプロジェクト、ラップとR&Bの結婚の意義の大きさを確認しあった。
そしてそれができるのはオレたちだと。
Pacはオレたちが似たような境遇から出てきていることを理解していた。
オレが
『ラップシーンでPac以上の存在はない』
と言うと、彼は
『Kellsは最高のR&Bサグだ』
と応えてくれた。
そして9月になり、ホリデーに入る前くらいにスケジュールが空くことが分かったので、Pacとのプロジェクトの日取りを決めようとしていたら、信じられない誤算が発生した。
日曜日に、9月8日の日曜日に目覚めたら、昨夜Pacがベガスで撃たれたというニュースが飛び込んできたんだ。
病院に搬送されたが、容体は良くないとのことだった。
そして銃撃の6日後の13日の金曜日、Pacが息を引き取ったんだ」